自分を超えたところに自分が出るパラドックス

内田樹さんの『街場の文体論』という本を読んでいて、考えさせられる所が多。

文体論の講義録なんですが、作品制作にも当てはまるので、
ついつい夜更かしして読んでしまいました。

良き文が生まれる時のように、竹の作品も
没入して我を忘れた時に、逆に個性的な凄いものが生まれる。
図面で書いたとおりに(頭で)作っても面白いものはできないから。

作品の意味をわかっていて作ることは、創作ではない。
わからないから作る。
ただ、それを作らなければいけないことだけはわかっている。
そして、後からどうしてその時それを制作したのかを理解する。
全てに通じる奥義のような気がする。

勉強も同じで、どうして役に立ちそうもない数式や年号を学ぶ必要があるのか
学ぶ時にはわかっていない。
でも、大人はあの時もっと勉強しておけばよかったと、皆後悔する。
大切さは後で分かります。
学びの本質と、制作の本質は似ています。
by first-nakatomi | 2016-05-08 22:15 | thinking
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