BAICAのこと

この間、BAICAの紹介文を書く必要があったのですが、なかなかこういう機会もないので、BAICAって何をやっているんだろうということをこの場を借りて。

BAICA

2006年3月設立、アートディレクターに城谷耕生さんを迎える
主に九州で展示会を何度か行っていますが、大規模な展示会はこれからです。
設立後1年間はプロダクト開発に力を注いできましたが、少し先が見えてきだしたので、今後は外に向って活動してゆく予定。

城谷さんの人脈によって、竹以外の分野のいろんな人と交流を持つことができるようになりました。
異なる分野の人と多く関わることで、BAICAのメンバーの視野が広がったことは確かです。


・BAICA結成のいきさつ

そもそものは、今からさかのぼること7年、城谷さんが大橋の師匠である早野先生宅を訪問したことから始まります。
そのとき城谷さんは、竹についてもっとよく知りたいということで訪問したのですが、たまたまそこに弟子として学んでいた大橋さん(現在BAICA代表)と知り合います。
そして竹細工の産地である別府の窮状を知るようになります。
多くの伝統工芸産地と同様に、別府においても外国製品の流入やデザインの遅れ、崩壊しかかった修行システム(弟子制度)のための後継者難など多くの問題を抱えていました。
まあ、いろいろ話しているうちに何とかしようということがあって、昨年のBAICA結成に至ります。


・BAICAのデザイン・創作のコンセプト

「学習と労働の場を両立させる、新しい工房運営プロジェクト。」
デザインの大元にあるのは、このコンセプトです。つまり、「竹細工の学校を卒業した生徒が基本的な技術で、学びながらクオリティーの高いプロダクトを生産できるシステムを作るということ。」が基本にあります。
ゆえに、開発しているプロダクトはどれも高度な技術は使用していません。

また、「過去の膨大な遺産を、再発見しリ・プロダクトすることによって、伝統を受け継ぐということ。」も大きなコンセプトです。
実際にWAVE,FREEBOX,BAMBOOHAT,UNICOは、リ・プロダクトしたものです。
昔の作り方を知っている老職人に話を聞きながら、昔の確かな技術を学ぶことは大切なことだと考えています。

なぜこうしたシステムが必要なのかということですが、現実問題として竹細工の学校で学んだ人で10年後も竹の仕事に携わっている割合は、この20年間ほとんど変わらず、1割にも満たないのです。
そうした厳しい現状があるにもかかわらず、昔の後継者育成のシステム(弟子制度)は崩壊し、職人は高齢化し、若い職人が育たず技術が失われていくという悪循環。
こうして産地が崩壊してゆくのは、日本の多くの伝統工芸産地と同様です。
あまり大それたことは考えていませんが、何とかしたいという思いはBAICAとして共有しています。

もともと竹細工は、家内制手工業的な要素の強い分野で、大きく産業組織化されないまま、時代に取り残されて今に至ります。
ただ、これだけ社会のほとんどが、大きく組織化されつつある中で、これだけ個人の手わざだけで生き残ってきている業界も少ないといえます。
ある意味時代が一回りして、いつの間にやら先頭を走っていたということにもならないとは限りません。
実際その、あまりにローテクな作業工程に魅力を感じてこの世界に飛び込む若い人が絶えないのですから。

私たちとしては、学校を卒業した若い人がBAICAという場で働きながら学び、自分の将来の飛躍に向けての布石を打つことの出来る場を作りたいと思ってます。
それはひとつの玉突きのように、BAICAで作り・学んだ人がそれぞれの方面で巣立って活躍してくれることが理想です。
そうして、また新しい若い人が参加する。
クオリティーを維持しながら、循環させることで、新しい後継者育成システムを作るつもりです。
それは、プロダクトを製作する工場でもあり、技術を学ぶ学校でもあり、新しいことに挑戦する研究所のようなところでもあるでしょう。

実際、研究所のような活動としては、日本文理大学の建築学科の近藤ゼミとともに、非営利な誰でもが利用可能なデザインの、竹の仮設構造物の研究をしています。
産業廃棄物を撒き散らす仮設の展示ブースの代わりとして、災害避難場所である体育館内のプライベートスペースの確保のために・・・など。
軽量な素材で、手軽に無料で手に入る竹という素材は、一時的な仮設構造物を制作するには最も適した素材でもあります。
竹の新たな可能性に、光を当てる活動もしています。

一言でBAICAというものは、どういうものなのですかといわれると答えに窮するのですが、上記で長々と述べてきたような組織です。
末永く見てください。


・名前の由来

最後にBAICAの名前の由来ですが、「BAICA」は「梅花」でもあります。設立した3月が梅の花の咲く頃であったということ、大分県の県木が梅であったという偶然から名前を決めました。


詳しい写真などはHPで、
http://www.baica.jp/
by first-nakatomi | 2007-09-27 21:08 | thinking
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